ミャンマーの困難と未来への希望:工場経営者の滞在記
「ミャンマー滞在記」
私が初めてミャンマーへ行ったのが2019年ミャンマーは亜熱帯の気候から日中の日差しが厳しい。帽子屋だけに帽子を手放せない国である。当時まだ、現在のような軍事政権ではない時代。国民は仏教徒が多く信仰心も熱い。聞くところによると収入の10%ほどもお布施に回るほど熱心であるようだ。人は穏やかで、よく働き、信頼できる。とても平和な国だ。ここに新たな工場を出すことが出来れば
きっといい商品ができるだろうという考えになる。
出典:シュエダゴン・パゴダ 著者撮影
土地を探し始め、いくつかの候補地を見てまわる。ミャンマーでは外国籍の方は土地の貸借契約ができない法律の為、信頼できるミャンマー人の方の名義を借りて契約することになる。
裏切られればすべて無になる。それをリスクと理解して工場予定地を探す。
2020年1月15日新型コロナウイルス感染症が日本で初めて感染の確認がされる。海外への渡航をはじめ行動制限が行われミャンマーへ行くことも叶わない。
2021年2月1日ミャンマーで軍事クーデターが発生。軍事政権の誕生とともにスーチーさんの拘束、民主派との争いが始まる。民主派が電力設備を破壊するなどでミャンマーの電力事情は悪化していく。そして、各国の経済制裁が開始され外貨不足へ陥る。外貨不足の為資材の輸入許可が下りない状況になり自由に輸入ができない。ミャンマーから撤退する工場もあるのではないかという
考えもあり、既存物件も探すようになる。
ある日、ミンガラドン工業団地の方より日系の縫製工場で売却を考えられている会社があるという情報をもらう。早速その方へ連絡してみる。経営者の方はご高齢で健康に不安をお持ちのようで売却を検討されているようだ。行くこともかなわないがリモートでの情報交換等をおこなう。VISAを取得することでミャンマーへも行くことができる。最終的に契約もまとまり2022年12月1日より弊社のグループ工場となった。工場のスタッフも全員引き継ぎ生産にかかる。そのころミャンマーは
急激な物価上昇で給料UPしても追いつかない状況になる。
ある日の昼休み。ミャンマーではお弁当を持参して食堂でみんなで食べるのだが、数人のスタッフが工場の机の下で寝ている。早喰いなのか?食べていないのか?と聞くとどうも弁当が無いようだ。食うに困るスタッフが何名かいる。米12キロと油1本をみんなに配ることとした。朝食にはモヒンガと言われるナマズの郷土料理をみんなで食べた。みんな大喜び。
出典:モヒンガ230名分の朝食
出典:朝食を食べるスタッフたち
コロナ前に行ったときは考えられないような窃盗や犯罪が多発している。治安の悪化が急速に起こっているのだろう。各国の経済制裁はもちろん必要なことだろう。しかし、現場には全く関係のない市民が生活をしている。彼らの生活環境を向上することはどうなるのか、食うに困るなんて日本では考えられない。ヨーロッパ諸国やアメリカはミャンマー製の商品は輸入しないとなっている。もっと現場の事実を見るべきではないだろうか?欧州商工会議所は書面で下記のように述べている。ミャンマーの縫製業は軍への直接的なつながりはないと記載されている。また、ミャンマーへ仕事を出すことで市民の生活が保たれているとも書かれている。この工場で働いてくれる人だけでも守っていかなくてはならないし、もっと多くのミャンマーの市民を助けたい。賛否あるだろうが今、目の前に食事もできないで生活している人がいる。
その事実から目を背けることはできない。1日も早く平穏な日常が戻ることを祈る。
出典:ミャンマー欧州商工会議所